院内報61-80
院内報61
精神科診療所での経験11 コミュニケーション2
人の言動が理解できないとき、人は世間とか常識とか普通などの言葉を持ち出してそれからずれていることを強調する傾向がある。しかし世間にしろ常識にしろ普通にしろその言葉自身がその本人だけの世間・常識・普通であり決して客観的ではありえない。にもかかわらず自分の立場を客観化するためにこういう言葉を持ち出してくる。結局は自分の考えの押しつけになってしまっている。日本人は特に主体性が弱く同調する傾向にあるため、自分の言動がかなり主観的であるにも拘わらず世間・常識・普通という言葉を使って自分は主観的ではなく、周りに合わしています・私の言動は利己的・主観的なものではなく、全体の和に沿った言動ですと主体性を覆い隠した言い方をする。しかしどのみち主観的でない立場はないのだから自分はこう考えるとか自分の家ではこうするなどの英米流言い方を習得したほうがコミュニケーションは発達するだろう。
母親が子供のためといいながら自分の子供に対する自分の願望を覆い隠し、さも客観的な言い方をしてしまう。子どもを叱るときにも警察を登場させて自分の基準ではなく、国家の基準にすりかえて子どもを叱ったりしている。批判という言葉が感情的拒否を含むのはその言葉には社会や組織からはじきだしますという意味をもたせてしまう傾向がある。謝るという態度で世間が許す、感情的に周りに受け入れて貰えると感じており、批判・謝罪の客観性が失われていることも多い。すなわちお互い和を大事しすぎて、あまり批判せずなあなあになってしまったり、ただ形だけ謝って間違った原因をないがしろにしてしまったりする。
映画の話43 ブラザーフッド
北緯38度線で分断された朝鮮半島は1950年北朝鮮の南進により朝鮮戦争が勃発した。ソ連・中国の援助を受けた北朝鮮と主として米国や国連軍の援助を受けた韓国軍はお互い朝鮮民族兄弟間で殺し合いをせざるをえなくなった。ソウルで靴磨きをしていたイ・ジンテ(チャン・ドンゴン)、高校生のイ・ジンソク(ウオンビン)兄弟は家族とともに大邱まで避難してきたが、そこで韓国軍に徴用された。前線に送り出された二人は洛東江防御戦の同じ部隊に配属になった。兄ジンテは病弱の弟ジンソクを除隊させるために命を賭けて危険な任務につき勲章を貰おうとした。このジンテの活躍により奇襲作戦が成功し米軍も仁川に上陸することで意気あがった韓国軍、米軍、国連軍は平壌を陥落させた。軍曹になっていたジンテは平壌市街戦のさなかに手柄をたてようとして北朝鮮大佐の捕縛を無理矢理試み成功するが、ジンテを助けようとした戦友ヨンマン(コン・ヒョンジン)が戦死してしまう。ジンソクは戦争により変わっていく兄、弟を除隊するために他の全てを犠牲にしようとする兄が恨めしかった。北朝鮮軍に対して情けをかけなくなったジンテは進軍途中坑道の奥に潜んでいた北朝鮮兵のなかに靴磨きを一緒にしていたヨンソクを見つけるがアカだといって殺そうとしたがジンソクによって止められる。韓国軍が鴨緑江まで来た時ジンテが太極武功勲章を貰う知らせが届き、ジンソクを家に帰そうとしたがジンソクはもう兄の言うことには従えなくなっていた。そのようなとき中国軍が攻めてきて同時に反乱した北朝鮮捕虜を鎮圧するときにジンテはヨンソクを殺し、ジンソクはジンテに対して怒りを爆発させてしまう。その後、ジンソクは故郷のソウルに帰り、母と兄の婚約者ヨンシン(イ・ウンジュ)にあったが、そのときヨンシンはアカと疑われて処刑されそうになり、ヨンソクを守ろうとしたジンソクも彼を追ってきたジンテもヨンソクを守りきれずヨンソクはアカとして殺され、兄弟二人とも逮捕されジンソクは北朝鮮捕虜と一緒に倉庫に隔離される。ちょうどそのころ中国軍の大攻勢が始まり、韓国軍隊長は倉庫を焼却させる命令を出した。弟が死んだと思ったジンテは大隊長を殺し、このような韓国軍に対して怒り狂って北朝鮮軍に寝返り旗部隊の隊長として大活躍する。しかしジンソクは生きていたのであり、間違って寝返ったジンテに会いに行こうとする。ジンソクは命を賭け敵軍に近づき、婚約者と弟を殺されたと思って韓国軍を殺す鬼神と成っていたジンテに自分は生きていることを示したがなかなか弟とは分からなかった。最後は弟が生きていたことに気づき北朝鮮軍に反旗を翻しそこで死んでしまう。この映画は朝鮮民族の悲劇をヴィヴィッドに描き、国同士の動きや思想が各個人の幸せを踏みにじり奪っていく恐ろしさを感じさせた。
日本神話と精神医学61 穢れと禊ぎ
ケとは日常性、日常活動エネルギーを表しており、ケガレルとは日常の活動エネルギーが無くなってしまうすなわち死ぬことをも表している。記紀にある死の話はイザナミが火の神ホノカグツチを産んんだことにより、死んでしまい黄泉の国に行ったとある。すなわち火と産と死が穢(エ)と考えられている。この穢れの世界すなわち黄泉の国にイザナミが触れ、死の神々と共食したために黄泉の国から戻れなくなってしまった。一方イザナキはこの穢れの世界に触れ穢れてしまったが身に付いた穢れを水で洗い落として、逆に3貴子を誕生させたのである。これを禊ぎ(身削ぎ)と言っている。
このような日本人特有の発想で、問題を起こした政治家が禊ぎをして、汚れを水に流して本当に身が清められるのだろうか? このように祓いや禊ぎは簡単にすませることが出来、人の苦しみも簡単に取り去ろうという気持ちを持ちやすいが精神的な苦しみはそんな簡単なものではない。
院内報62
精神科診療所での経験12 感情
精神疾患では感情が不安定になることが多い。特に感情障害といわれるそううつ病は感情がそうになったり、うつになったりする。さらに不安の訴えが中心と考えられている神経症、不安障害などがある。感情は身体の状態と不可分の関係にあり身体の疲れ、だるさとうつ気分は密接に関係している。感情には喜怒哀楽があるといわれているが、喜怒哀楽自身が身体特に神経系、自律神経系と結びついている。喜びは顔の筋肉に変化が起こり喜びの声がでたり胸も高鳴ったりする。怒りは歯をくいしばったり手がふるえたり顔が真っ赤になったり心臓の動悸も強くなったりする。このように身体の状態と不可分に結びついた感情は個人個人全く違っているが同じ人間同志共通している部分も多い。
感情は快感、不快感に大きく分けられる。感情がまとまって落ち着いている状態は安心感である。楽しみは自分の要求が満たされ実現、実行しているときに感じる。喜びは困難な欲求・要求が満たされたときの満足感であり、身体にも比較的力強く表現される。一方いらいら、かりかり、むかむか、もやもや、むらむらなど感情、気持ちがまとまらず落ち着きのない状態がある。特に分けの分からない漠然とした不安感もある。不安は胸苦しさ、息苦しさなど呼吸・循環器系統に現れやすい。怒りは当然の欲求が満たされない時の不満の強い状態である。悲しみは自分に所属していたものがなくなる時に感じる。
このように自分の欲求、要求、目的、価値、所属、人間関係などなどの変化によって人間の感情は刻々変化している。個々の体験が個々の感情状態を生み出すので、それを知ることにより感情も詳しく分かる。例えば3人いて他の2人が仲良くしていて自分が無視された時には妬み・嫉妬・疎外感・孤独感・被害感、怒りなど個人個人に特徴的感情が起こってくる。
このような不快な感情が強すぎれば身体・行動・表現・人間関係・日常生活に大きく影響し、自分や周りが心配したり困ったり不利益が大きくなると心の病気といえるだろう。
映画の話4 キング・アーサー
この物語はアーサー王伝説の最近の解釈に基づいている。紀元5世紀の始め、ローマ人に支配されていたブリテン島ではケルト民族ブリテン人のウォード族が反乱を繰り返していた。ローマに破れたサルマート族はローマに捕虜的な傭兵を差し出すよう要求され、サルマート族のランスロット(ヨアン・グリフィズ)達はローマのために小さい頃から故郷を離れてローマのために、ローマ人とウォード族の間に生まれたアーサー(クライブ・オーウェン)を隊長としてウォード族と果てしなき戦いをしていた。アーサーはローマ名アルートリウスでありローマ軍の指揮官であった。アーサーはウォード族の母親を持っていたがウォード族に殺されており、ウォード族を憎んでいた。このとき母親を救おうとして神剣エクスカリバーを手に入れた。
一方ブリテンはゲルマン民族のサクソン族にも狙われかなりの数のサクソン族軍隊がローマ軍をブリテン島から追い出そうとしていた。もちろんウォード族にとってもサクソンは敵であった。ローマはハドリアヌスの城壁を守ってきたのだが今やブリテンを放棄せざるを得ないと考えていた。しかしサクソンが迫る地域にはローマの高官マリウスが住んでおり救出をせざるを得なかった。そこで傭兵の期限が切れ自由になるはずだったサルマート人のランスロット達に命じてローマ高官マリウス家族を救い出す命令を最後に与えたのである。アーサーはランスロットを含む円卓の騎士達に過酷な命令を下さざるを得なかった。一方ランスロット達はやっと自由の身になれると思っていたにも拘わらず、死の確率の高い命令をキリスト教徒であり高潔な人格のアーサーのために引き受けるのであった。マリウスの館ではマリウスは村人達を奴隷のように扱い、命令やキリスト教に従わないもの達に拷問して殺していた。怒ったアーサーは拷問され死にかかっていたグヴィネヴィア(キーラ・ナイトレイ)と少年を救いだし、サクソンの侵略から逃れさそうとしていた。途中マリウスがアーサーに対抗しグヴィネヴィアに殺される。まもなくサクソン族数百名が逃げるアーサー達に追いついてきてアーサーと円卓の騎士達10名足らずで氷上の決戦をして騎士の一人タゴネットが自らを犠牲にして勝利を収める。こうしてマリウスの息子と妻をハドリアヌスの城壁に連れて来て救出に成功したため、ランスロットを含む円卓の騎士達はローマから自由の身にされる。
ウォードの指導者マーリンはサクソン族を破るためには名高いアーサー達を味方にして闘おうとしていた。グヴィネヴィアもブリトン人の血が混じっているアーサーに一緒に闘うよう薦め、彼女に惹かれつつあったアーサーは自分一人でもサクソン族と闘う決断をしたのである。アーサーの決めたことに対し円卓の騎士達は無視しようとしたが、結局はアーサーの人柄に付いて行かずを得ずウォード族と組んでサクソン族と戦い勝利を収める。こうしてアーサーはブリテンの王となった。
英雄は常に不幸な生い立ちを持っており、それにも拘わらず天性の能力で敵や困難にうち勝つ。最後は不幸な結末になることも多い。人は人のために頑張って苦労して成果を残してくれたにも拘わらずその成果を本人が享受出来ない時に英雄と崇める。ひとは常に無償の愛や犠牲的精神を求めているということであり、現実にはなかなか見いだせない人物を求めている。
日本神話と精神医学62 神託
崇神天皇の時疾病がはやり、天皇が悩んでいる時に三輪山のオオモノヌシが自分を祭れば疾病は治まるという神託を出した。天皇はそれを受けて従うと疾病は治まった。仲哀天皇はクマソを討つために九州に出陣したが神が新羅を制服しろといったが、従わなかったのでクマソに殺される。その妻神宮皇后はその言葉に従い男装して新羅を攻めた。政治にあたるものが政策の決定に迷った時、神託・呪術・占術に頼ることは日本史上によくある。普段は神託などには頼っていず、シャーマニズムとは言えないが、重要な決定の時には神託が出現している。
無限の世界に対して、どんなに優れた人も人である限りすべてを見渡すことは出来ない。それどころか全く分けの分からない状態に近い。人は分かることしか分かっておらず、それ以上は運頼みである。従って指導者自身独断や神頼みというのは当然と言える。独裁者がなんでも見透かしているように振る舞うのは宗教の教祖に非常に近いものがある。人は原不安の状態にあり、何か大きな安心感を求めているが、それは不可能にも拘わらず、頼ってしまう傾向があるということを知っておくべきである。確かなものを理論的には与えられないため、確かなものを与えるかのように主張する人物、組織には頼るひとが大勢出てくるのは当然であり、そういう人間の特徴を知っておかなければならない。
院内報63
精神科診療所での経験13 意欲
意欲は意志と欲動を合わせた言葉であり、欲動は欲望、欲求、本能などであり、人間の精神・運動活動エネルギーを表し、車のアクセル的働きをしている。一方意志は車のブレーキ的働きをしており、欲動をコントロールし、適切な方向に適切なやり方で活動するようにする。意欲・欲動が落ちれば人は何をする気もなくなり、何をしてもおもしろくなく、感情も平坦になる。意志が弱くて欲動も少ないときには他人の意志のまま動いてしまったり、みんなの意見にただあわせるだけの個性のない人間になるか、意志が弱いが欲動が強いと本能のまま活動し我が儘に、動物的になる。
統合失調症の一番難しい症状はこの意欲低下であり、とくに感情が平板化し、やる気をなくしてしまうことである。生き生きとした感情ややる気、意欲は通常は人間にとって自然で当たり前のものである。しかし当たり前といっても、小さい時から母親や両親の期待に応えたり、喜ばそうとしたり、学校の先生に認められようとしたり、友人にライバル心を感じて頑張ったり、他人や社会の役に立とうとしたりして意欲は維持される。統合失調症の患者さんはどうしても人間関係が少なくなり、この人間関係を通して人から貰える心的エネルギーが不足しがちになると思われる。
うつ病の患者さんは抑うつ気分という感情のため元気が出ないのであり、うつ気分がとれて元気が出てくると意欲も出てくる。しかしうつ状態がなかなか治らず慢性のうつ状態の人がこの元気のない状態で生活し続けると意欲が落ちてきてなかなか治らないという悪循環もおこることがある。うつ状態だけでなく、不安障害なども持続し慢性化すると意欲が落ちる傾向がある。
映画の話45 LOVERS
中国唐の時代、政治が腐敗して反政府組織が乱立していた。その最大勢力飛刀門は貧者救済で支持を集め政府・県の捕吏と死闘を続けていた。武術に優れた2人の官吏金随風(金城武)とリーダーの劉(アンディ・ラウ)は遊郭・牡丹坊に盲目の踊り子がおり、その踊りが達人の技であると聞き飛刀門の一味ではないかと探りを入れる。金が牡丹坊に乗り込みその盲目の踊り子小妹(チャン・ツィイー)に無理難題を仕向け大暴れする。そこに劉らが政府役人として乗り込み小妹を逮捕しようとしたが、牡丹坊の女将(ソン・タンタン)の取りなしで小妹が最高の踊りを見せれば許すことにした。しかし驚いたことに小妹が最高の踊りを舞った後、劉に斬りかかったのである。そして劉と小妹が死闘を繰り広げたあと小妹が破れて逮捕される。その夜小妹が拷問され獄につながれた晩、金と劉は小妹が盲目で武術も優れていたためおそらく飛刀門の前首領の娘と判断し、金が小妹を助ければ飛刀門の所に潜り込むことが出来、それで大手柄をたてようと謀り、金が小妹を連れて逃げる。追ってが次から次ぎに来るが金に取って仲間なので殺すまねをして小妹を信用させ飛刀門のところに近づこうとするが、追っ手が今度は本気で2人を殺そうとしてきた。小妹に隠れて劉にあった金は劉から政府から直接送り込まれてきた捕吏なので金との謀りごとは伝えられていないと言い、政府役人と闘わざるを得なくなった。金は小妹がとても可愛くなり、自分の名前通り風に従って本気で小妹を助けようとする。こうして2人は政府側の捕吏と闘い、政府捕吏に倒されそうになったときに誰かが2人を助けようとしているのを知る。最後に大勢の政府捕吏に捕まり絶対絶命になったとき飛刀門一味が現れて2人は助けられる。ところが金だけが捕らえられ、小妹が飛刀門の命をうけて牡丹坊の潜り込んでいた女刺客で前首領の娘ではなく目も見えていたことが分かる。さらに飛刀門の首領が牡丹坊の女将であり、金と謀りごとをした政府の役人劉も飛刀門の一味であることがわかる。金は小妹が好きになり小妹のためにここまで来たが騙そうと思って逆に完全に騙されていたことを知って絶望するが、小妹への愛は本物だったため、小妹にあの愛は偽物だったのか問いただす。実は劉は政府役人に潜り込むため愛していた小妹と3年間も連絡取らずにいたのだがやっと2人で会えたのである。しかし小妹は金を愛してしまっていたのである。小妹は首領から金を殺せと言われていたいたにも拘わらず逃がしてしまう。この光景をみていた劉は小妹に抜けば死ぬ小刀を突き刺したのである。そして小妹を愛した2人の男金と劉は死闘を繰り広げ、死闘のさなか金をかばって小妹は抜けば死ぬ小刀を自分の体から抜きその小刀を劉に突き刺し自分も死んでしまう。
やはりチャン・イーモウ監督の造った実に美しい映像は映画英雄と匹敵する。さらに組織の一員として生きることと個人の愛を貫くことの葛藤、騙し騙されながらも愛のみが普遍的であることなど見所はしっかり用意してある映画である。
日本神話と精神医学63 開く
アメノウズメは通路を開く神である。一方アメノウズメと対になっているサルタヒコもちまたの神であり、分かれ道を守っている。アメノウズメは女性の身体の神秘的な通路ともいえる女性器を露出して、八百万の神々の口を開いて笑わせた。ついで天の岩屋戸を開かせ、アマテラスの口も開かせた。アマノウズメがもたらした神々の笑いは闇の世界を明るい世界に変えた。アマノウズメの女性性によってアマテラスは自身も成長したと言える。天孫降臨のときアモノウズメによってサルタヒコが天孫の案内役になったことも芦原中国を開くことと関係している。
このように新しい事態の出現は女性性や笑いによって出現している。人の気持ちを新しくするには女性性、生産性や笑いなどが大いに役立つということだろう。
院内報64
精神科診療所での経験14 認知
心療内科・神経科・精神科の診療において認知という言葉が最近よく使われるようになってきた。認知とは文字の意味から解釈すれば認めて知るということだが、岩波の辞書では外界を認識することと書いてある。すなわち認知とは外界の物質や現象を感覚し、自分の記憶・体験と照合し知覚し、自分が行動するための思考・理解・判断・決定の条件となるものである。
統合失調症の本質が認知障害であるとか、最近新聞にのったことだが痴呆症を認知症と言い換えようとか言われていたりする。
統合失調症におこる妄想は現実の出来事に対する判断の間違いだが、判断も大きな意味で認知機能の一つと言える。また幻覚は知覚の間違いだが妄想とともに本人には間違いが理解出来ないのである。誰でも自分の感覚、判断以外に人の感覚や判断を体験し得ない(相手のことが分かると自分が思っているだけである)ので相手を絶対正しいと言い切ることは出来ないが自分の感覚・判断は自分のものなので、自分だけにはその精神機能・認知機能は確かなのである(勿論それだけでは客観的な現実や事実にはなりえない)。しかし人が客観的な外界を体験することは不可能なので、客観性を少しでも獲得するためにここに人とのコミュニケーションが不可欠となる理由がある。
痴呆症では記憶を筆頭にすべての認知機能に障害が出現してきて当然コミュニケーションその他の活動・行動がうまくいかなくなる。しかし痴呆症の認知状態を知ることによってコミュニケーションが深くなるのは当然のことである。
映画の話46 笑いの大学
時は昭和15年、警察庁保安課の検察官・向坂睦男(役所公司)は芝居の台本を時勢柄厳しく校閲する。彼自身は満州事変、支那事変など戦争が拡大していく中、「芝居などなくてもよい」「笑いなど必要がない」と考える硬骨漢であった。
そこに劇団笑いの大学の座付き作家・椿一(稲垣吾郎)が自分が書いた芝居の検閲を受けに来る。
向坂はこの台本は話にならない。場所の設定は外国だし、登場人物も外国人であるとかいって、始めから喜劇を否定し許可する気はさらさらなかった。しかし椿はどうしても上演を認めて貰おうとし検閲官の指示に従いながらも、台本を前よりも一層面白くする努力を必死でするのである。お国のためという言葉を入れよとか、登場人物に警察官を入れよとか難癖を付けられながらも椿は台本を一層面白くしていくのである。冗談も考えたことのない堅物の向坂は、椿の台本に対する真面目な姿勢に加えてだんだん面白くなる台本に感動し、ふたりは一緒になって夢中でこの喜劇の台本を面白くしていくのである。検閲中出てきたお国のためをお肉のためと言い換えたり、チャーチルやヒトラーに寿司をにぎらせたり、こりゃまた失敬がさるまた失敬と言うことなど言葉を言い換えることで笑わせたり、芝居の中で好きなもの同志が接吻をするのをなんども邪魔をされることによって観客を笑わせられることを向坂は学んだのである。椿は検閲最後の日に最高の傑作を作り上げ向坂にみせた。
向坂は今までにない最高の面白さだと認めた。しかし椿はこのとき赤紙(召集令状)を貰っており戦地に行かなければならなかったので検閲の必要はなくなったというのである。最後に向坂はこんな面白い芝居は必ず上演しなければならないので椿に生きて帰ってこいと告げる。
面白さは紀記ではアマテラスが岩屋戸から出てきたときに笑い・踊り・騒いでいる神々の顔を照らし面を白くしたという話からでている。一般的に笑いは失敗しそうもない、変わったことが起こりそうもない人物や出来事がちょっとしたことで失敗したり、変わったことがおこってしまったときに、それを見ているものが優越感を感じて起こる。戦争中にしろ、大不況中にしろ厳しい世の中でも笑いをもてる精神状態は人々に心身ともかなりよい影響を与えるだろう。
日本神話と精神医学64 フツヌシ
イザナギがカグヅチを切ったとき化生したイワツツノヲ、イワツツノメの子として生まれ、タケミカヅチと同様葦原中津国平定時の主神である。
フツヌシは物部氏により祭られ、タケミカヅチは藤原氏により祭られていたが、藤原氏が栄え物部氏が衰退したため神話における重点順位が逆転したと思われる。刀の名前としてサジフツ神、ミカフツ神と言われており、それらは物部氏の氏神をまつる石上神宮に鎮座している。
このようにフツは刀を研ぐ時にでる音から来たとも言われているが、刀や武力と関係する言葉であり、フツヌシは大和朝廷において武力を特徴とした物部氏の氏神である。
氏族が奉祭する神の影響力もその時々の氏族の朝廷における力で左右されており、このように神ですら浮沈があるので人間には言わずもがなであろう。
院内報65
日常精神科臨床でよく使う説明1 井戸水の例え
このうつ病に関する例えは精神科医の先輩から伝わってきている。うつ病は心身の活動エネルギーの低下する病気であると考えられている。このエネルギーを地下水に例えれば、うつ状態は地下水がなくなり井戸水が枯れてしまった状態である。井戸水がなくなっているにも拘わらず執着気質で頑張りやは何かしていないとおれないので、井戸水がないにも拘わらず水を汲み続ける。しかし水がないのに汲めるわけがなく、汲んでも空っぽであり空っぽだとさらに頑張って汲もうとする空回り状態が続く。こうして心身ともに疲弊してしまったのがうつ状態といえる。
ではどうしたらうつ状態が改善するのか?この答えは簡単に想像できると思うが井戸水を汲むのをやめればよいのである。そうすれば時期によっては地下水も回復し、井戸水も貯まってくるのである。井戸水が貯まっても安心してはいけない。まだ底が浅いのである。あわてて活動を再開して水を汲めばすぐ空っぽになる。すなわちうつ状態は再発するのである。従って地下水が少ししか貯まっていないときは動き続けられると勘違いしないで、この時期もう少し辛抱して長い目に休んで貰った方がよいのである。
映画の話65 いま、会いに行きます。
母秋穂澪(竹内結子)が亡くなって1年たち、息子の佑司(武井証)は父巧(中村師童)に「人が死んだらみなどこに行くの?」と尋ねる。巧はママが書いた絵本の中にはアーカイブ星にいると書いてあったじゃないかと答える。さらにその絵本の中には雨の季節にママは帰ってくると書いてあったのである。佑司は勿論巧までもその話を信じたかった。
巧は司法書士事務所に勤めているが、妻が亡くなってからは当然元気がないままである。巧もこころの中では澪を待っており雨が降る季節を期待している。学生時代にパニック障害?と思われる病気がおこるようになった巧は診療所の野口医師に「やはり澪さんに戻ってきてほしい?」と聞かれ巧は「僕は澪を幸せにしてやれなかった。戻ってきてくれたら一緒に生きてよかったという思いをもう一度させてやりたい。」と答える。妻がいない上に自分も人込みや乗り物の中で倒れてしまう病気を抱えて、巧は日常生活もしっかり出来ない状態で息子佑司にも心配をかけていた。
雨がふったある日息子と2人で澪との大切な思い出のある場所に行った。そこで澪と出会うのである。澪は何も覚えておらず、自分はどうしてこの家族の一員になったのかを知りたくなった。澪は何も覚えていないがもう一度始めから3人で生活をしていけばいいのだと巧は考えた。巧も佑司もすごく元気になり澪が来てからは家も勿論見違えるようになった。澪は巧とどのようないきさつで結婚したのかを尋ね巧は答えるのであった。高校2年生の時2人は始めて出会って同じクラスで席もとなり同志であった。始めは巧の片思いだと思っていたこと、巧は陸上の選手で活躍していたこと、卒業式の日にサイン帳をもって僕の所に澪がきてくれたこと、その時巧のペンを澪のサイン帳にはさんだままわたしたこと、澪は東京の大学・巧は地元の大学にすすんだこと、しばらくしてペンを返すということで2人は出会い愛し合うようになったこと、しかし大学2年の時巧はパニック障害?を引き起こし交際をやめようとしたことなどを話した。しかし巧は澪を忘れられず、澪に会いに行ったとき澪が他の男子学生と仲良く話しているのみて澪と会わずに帰るのである。その姿をみた澪は巧が私に会いに来てくれたと感じ後を追うのだがこの時事故にあう。
20歳の時の事故による意識消失のなかで澪は未来にジャンプして自分が亡くなった後の夫と息子の2人だけの家庭に記憶を失ったまま戻り3人で生活する夢のような体験をするのである。やがて雨があがる季節に自分が戻ることを知った澪は子供の佑司のために成人するまでの誕生日のケーキをケーキ屋に注文し、自分の現れた場所から2人に別れを告げて去っていく。
この映画がこころに残るのはもう死んでしまって会えなくなった人に会えるという奇跡があること、死んだ人のこころと今もつながっていること、お互い相手を思いやっていること、結局は死んでしまったものは戻ったままにはならない哀しさ、哀しいこころと雨という自然が調和していることなどであろう。
日本神話と精神医学65 王家、権威、受容
人が人を受け入れるのは人の外見や言葉だけでは充分ではない。例えば話しだけは立派であっても中身が伴わないことも多々ある。そのため手っ取り早く中身の確かさを確かめるためにこれまた歴史や伝統、権威などを象徴するシンボルを用いる。
神話では王家であることを示すのに3種の神器「八尺勾玉」「八咫鏡」「草薙の剣」が使われる。これらは天孫ホノニニギが高天原から降り立つときにアマテラスによって与えられた贈り物である。この3種の神器はそれぞれマツリを表す鏡、タタカイをあらわす剣、ものをウムことを表す玉として国家の3機能のシンボルでもある。権威は形・伝統だけでなくその意味が充分に伴って始めて強固にされるのである。
精神は外見より中身に近いが、精神と深い結びつきのある言葉は意味・中身が広く・深く味がなければこれまた形だけになり、ひとを納得させるためには意味・中身の広さ・深さ・味が非常に重要になり、言葉に中身の広さ・深さ・味が伴って始めて意味あるコミュニケーションが可能となる。
院内報66
日常精神科臨床でよく使う説明2 病気は治りますか?
通常の精神科の病気は本人の体質・気質・性格と本人の現在の諸環境すなわち家族関係・人間関係・学校・仕事場などとの相互作用によって起こってくる。一般的にどんなにこころの病気になりにくい人でも環境が悪ければ病気になる。どんなにこころの病気になりやすい人でも環境がよければ病気にならない。本人の体質・気質は両親から受け継いでおり自分で決めたものではない。両親を自分で選んだわけでもない。日本で生まれ、その地域で生活し、小さい時は学校に行くことも自分では決めていない。偶然の出会いで友達も決まる。こうして出来てくる性格は本人の意志で創られたとは言えず、偶然出来てきたという一面がある。このように環境も性格も必ずしも本人の意志で創ったわけでないので、本人の病気は決して本人のせいでないことも多く、周りも本人を単純には責められないし、自分自身も自分を責めすぎるのは間違っている。
あるストレス状況下でこころの病気になった人は病気になりたくてなった人はいない。このようなストレス状況下で自分を治そうとすなわち変えようとしてきたにも拘わらず、調子が悪くなったのである。従ってこころの病気を治すには自分だけを変えて治そうとするなどの今までのやり方を変える必要がある。現在の環境を変えること、自分の体の状態を薬物を利用して改善すること、自分を責めすぎないで自分の病気を治していける過ごし方をみつけることを通して自分の自然治癒力も一層大きくなって治っていく、否、治していける。
このように今までのやり方を続けたり、ただ薬をのんでいるだけで病気が治ってくると考えるより、医者と相談しながら薬を利用して体調を変え、自分の過ごし方や人間関係を含む環境を調整することにより病気を治していくという考えも相当重要である。
映画の話47 北の零年
明治の始め淡路の稲田家は徳島藩との確執から明治政府により北海道への移住を命じられた。先遣隊には家老の堀部賀兵衛(石橋蓮司)、小松原英明(渡辺謙)などがいて荒地の開拓に取りかかっていた。続いて英明の妻志乃(吉永小百合)と娘の多恵をのせた船も半月がかりで北海道静内にやってきた。これから厳しい北海道の開拓を始めるのである。ところがその次の船が難破して83名の人と財産を失い、以後人は来なくなったのである。さらに廃藩置県により開墾した土地は政府の管轄になり、失望と絶望のなか英明・馬宮伝蔵(柳葉敏郎)ら家臣達は髷をきってこの地にふみとどまる決意をした。やがて冬が近づき食料が不足するなか商人持田倉蔵(香川照之)が自分の利益のため救いの手をさしのべる。さらに英明はみんなの期待を背負ってこの地で育つ稲を探しに札幌まで行くのである。半月以上たっても英明は帰らずその間に志乃は持田に襲われそうになった。この危機をアイヌとともに暮らす男アシリカ(豊川悦司)が救う。アシリカは自分が助けられずに死んだ自分の妻と子供の面影を志乃と多恵の中に見るのである。一方馬宮の妻加代(石田ゆり子)は馬宮の子供をお腹に宿し、空腹のため倉蔵に体を許す。志乃と多恵は仲間から夫英明が裏切り戻ってこないと責められながらも英明を信じて雪の中を夫を探しに行く。しかし遭難一歩手前で異国の男エドウィン・ダンに助けられる。
数年後志乃と多恵(石原さとみ)はダンに助けられ馬を育て牧場を経営していた。またアシリカと仲間のアイヌは彼女達を助け、英明のいなくなった家を守ってきた。この年やっと育ち始めた稲がイナゴの襲来であらされ、人々に不安が渦巻くなか志乃はこの地の長に呼び出される。この地の長には持田がなっており、馬宮は馬の世話役、堀部は持田の給仕になっていた。持田は政府が土地の男を徴用しない代わりに志乃の馬を差し出せと言って来たと言う。志乃は抵抗出来ないとなかばあきらめていた。
政府の役人として馬を引き取りにこたのは他でもない数年間音信不通の英明だった。英明は自分が病気をしたこと、ある人に救われたこと、今はその人と家族をもっていることを語り、馬を引き渡すよう志乃に頼んだ。英明は志乃の牧場に来て馬を引き取ろうとしたとき堀部、馬宮、その他の仲間達が役人に殺されてもかままない気持ちで抵抗しようとした。そのとき全ての馬が急に牧場から逃走した。馬を逃がしたのはアシリカ実は会津の藩士で五稜郭の戦いの生き残りであった。アシリカは死を覚悟していたが志乃に死なないでと言われ抵抗をやめ英明に捕まえられる。英明は馬にしてやられたといって去っていく。
しばらくしてアシリカの友のアイヌが馬を連れ戻してきた。こうして志乃は仲間の絆を感じて牧場経営に再出発するのである。
日本神話と精神医学66 八坂瓊の勾玉
昔、丹波の桑田村にミカソという人と足往という犬がいて、この犬がムジナという獣を喰い殺したところ、その腹のなかから八坂瓊の勾玉が出てきて石の上神宮に納められたという伝承がある。三種の神器の剣がヤマタノオロチのなかから出現し、勾玉がムジナのなかから出現しているのは、神聖なものは霊的な動物のなかから出現するということである。石の上神宮は物部氏が管理しており、奇しきものを管理してきたのが物部ということになる。物部のモノは奇しきという意味ももっており、物の怪・物悲しい・物寂しい・物忌み・物々しい・オオモノヌシなどで使われているモノである。このように神聖と奇とモノが結びついており、日常的な通常の世界とは違った世界・精神は神聖・奇・モノと関係し、逆説的にこれらの言葉自身が日常的なものになっている。
精神症状もある意味物凄い体験であったりするが、意味深い体験でもあろう。
院内報67
日常精神科臨床でよく使う説明3 薬の副作用について
薬物は身体に作用し、細胞や組織・器官の働きに影響する。一般的には腸などから吸収されて、血管に入り、全身に広がり、標的部位に作用し、肝臓などで解毒・代謝され、腎臓などから排出される。薬物は主として機能・働きに影響し、蓄積して細胞・組織・器官などを障害することは少ない。薬物の副作用を心配する必要はあるが、心配しすぎて薬物の作用・利点を利用出来ないとその人にとって損失も大きい。
基本的には副作用のない薬はない。逆に副作用のない薬は効かないとも言われたりする。しかし重要なことは副作用にも色々あり、怖い副作用と怖くない副作用がありこれを区別する必要がある。もし怖い副作用が起こりやすいのならそもそも薬としては使えない。ここに国・製薬会社・医療機関が信用できるかどうかの問題がある。確かに今まで問題をおこしているが、薬すべてが信用できないかといえばほとんど信用できると言えるであろう。
薬物を飲んで副作用が起こったときには、それが怖いものかどうかは医者と相談してもらって、仮に怖いものであればその時点で中止すれば基本的には後遺症など残すことはほとんどないと言える。
もう一つ重要なことは薬物を飲むことは、患者さん一人一人が薬のイメージも飲むことであり、それがその人のこころに影響を与えて自己暗示などの心理的作用も大きくなる。従って薬についての正しいイメージを医療が提供しなければならないし、患者さん自身もそのことすなわち薬の心理作用も知っておかなければならない。
映画の話48 アレキサンダー
アレキサンダーの友人で部下の将軍、後のエジプト王プトレマイオス(アンソニー・ホプキンス)は自分が死ぬ前にアレキサンダー王を振り返り記録に残す。紀元前356年マケドニア王フィリッポス(ヴァル・ギルマー)とその妻オリンピアス(アンジェリーナ・ジョリー)との間にアレキサンダーは生まれる。マケドニアを建て直し、荒々しく粗野な父フィリッポスと気性が荒く、ディオニュソスを信仰する母オリンピアスは仲が非常に悪く、アレキサンダーに母は「お前はゼウスの子。父はお前に王位を継がせるとは限らない。しかしお前が世界の頂点に立つのだ。」などと語り不安な少年時代を過ごした。アレキサンダーは武芸にも優れ、学問もアリストテレスに習い、ヘファイステイオンとの同性愛的感情やプトレマイオスとの友情を強く築き、孤独と愛を知る。この頃父も乗りこなせなかった荒馬プーケファラスと出会い乗りこなし、みんなに一目を置かれる。ある日フィリッポスはアレキサンダーに宮殿の地下に描かれたギリシャ神話の壁画を見せ、アキレスなどの栄華と挫折を繰り返す悲しい過酷な王・英雄などの運命を語る。その後フィリッポスは新しい妻を迎え、オリンピアスは我が子アレキサンダーの王位継承の危機を感じる。しかし紀元前336年フィリッポスは何者かに暗殺され、アレキサンダーは若干20歳でマケドニア王となる。
ただちにギリシャやエジプトを征服し、逆らう者には虐殺従うものには慈悲をあたえ、人々からゼウスの子と崇められた。紀元前331年いよいよペルシアの大王ダレイオス王とガウガメラで闘う時が来た。アレキサンダー軍は4万人、一方ペルシア軍は25万人とても勝ち目はなさそうであり、将軍(大王と同格の貴族)のヘファイスティオン、カッサンドロス、パルメニオンたちに制止されたがが、アレキサンダーは果敢に攻め込み、大けがをしながらもダレイオス王の目前まで迫り、恐れをなしたダレイオス王は逃走する。ここに世界最強のペルシア帝国が滅び、アレキサンダーはバビロンの門をくぐった。アレキサンダーは従順なダレイオス王の家族やアジア人にもギリシャ人と同じように接したのでアジア人を蔑視する将軍・部下たちは不満を抱いた。しかしアレキサンダーはヘファイスティオンには世界征服の真の目的を伝えるのである。征服した国々・人々を解放し学問を広め精神も解放するということだった。
アジア侵攻の途中、アレキサンダーはバクトリア王女ロクサネ(ロザリオ・ローソン)を第1夫人にしたことにより、アジア人との子供が王になることは許せないとパルメニオン(ジョン・ギャバナン)たちは抗議した。ある日アレキサンダーはパルメニオンの息子フィタロスに毒殺されそうになったためフィタロスを処刑し、パルメニオンの同志クレイトスにパルメニオンをも暗殺することを命じ、反乱の芽を封じるのである。こうしてインドにまで達したアレキサンダーの飽くことのない征服欲は、今度は将軍や部下達に阻止され、バビロンに戻ることになる。しかし威信に傷のついた大王はインダス南下の途中マッロイ人との戦闘で捨て身で敵の城壁に飛び込み瀕死の重傷を負いながらも立ち直りカリスマ性を取り戻した。バビロンに戻ったアレキサンダーはさらに地中海に進もうとしたが、突然の病に倒れた。
アレキサンダーの飽くことのない征服欲は父フィッリポスの征服欲、母オリンピアスの我が子アレキサンダーが世界の頂点になることへの期待と邪念、アリストテレスの世界観・人間観の吸収、同格の貴族・将軍たちとのディベイトからの反発としての従順な異国人への寛容・慈悲・愛情、生まれつきの好奇心・闘争心などなど考えあげたらきりのない出来事が影響しているのであろう。この映画はその征服欲の原因・誘因の一部をかいま見させてくれる。
日本神話と精神医学67 三神
日本神話には奉祭氏族のない住吉・住之江3神ソコツツノヲ、ナカツツノヲ、ウワツツノオ、宗像3神タキリビメ、イチキシマヒメ、タキツヒメ、阿曇の連の奉祭するワタツミ3神などが出てくる。志賀島の阿曇氏は沿岸漁業、住吉系や宗像氏は沖合漁業をしていたらしい。沿岸漁業の阿曇氏は岸沿いに移動して信州まで入っている。
漁業系の3神以外には3貴神アマテラス、ツキヨミ、スサノヲやニニギとコノハナサクヤの子ホデリ、ホスセリ、ホヲリなどがいるが、ツキヨミやホスセリは実体があまり伴わない中空構造とかんがえられている。一方漁業系の神が揃って3神なのはもともと海人族には上中下3分し並列する神話が多いらしい。
2は私とあなた、夫婦など相対的違いなどを意識しているが、3は私とあなた以外に彼、彼女、それが出現したり、夫婦に子供が出来たり、普遍性、世界的絶対的広がりを表す傾向がある。
漁業系のひとはそういう広がりを感じやすかったのかもしれない。
精神医学において母子密着・母子カプセルなどと問題視されるが、父親が役割を果たしたり母親の第3者とのつきあいが母子に広がりや普遍性をもたらすのは言うまでもない。
院内報68
日常心療内科・精神科臨床でよく使う説明4 病気ですか?病気じゃありません!
最近は患者さんの診断に性格診断がされるようになってきている。すなわち人格障害が病気として捉えられつつある。性格にしろ病気にしろどこからどこまでが障害・異常でどこからどこまでが正常なのかは判断が相当難しい。本人が自分を病気だと思っても心配性などの性格上の問題であることも多い。また家族が本人を病気だと考えても、本人は自分のことを病気だと思わないことも多い。病気や人格障害などの病気・障害は教科書で定義されているが医者一人一人の経験や理解の仕方が違っているため診断は微妙にずれるのは当然であろう。心療内科・精神科の病気・障害は人間関係で決まる一面がある。本人が困っているか、周りが困っているか心配しているかすなわち典型的には身体症状・自傷・自殺など自分の身体の危機あるいは他害・迷惑など他人への悪影響などにより病気・障害は判断される。
特に治療上難しいのは本人が病識のないときである。しかしよく考えると自分が困っていないときは簡単に自分が病気であるとは思わないのは当然である。家族や周りが本人に病気だと言えば言うほど本人は反発するのもよくあることである。人間は自分が見えていることしか見えないし、自分が聞こえていることしか聞こえない。自分が分かることしか分からないし、感じることしか感じない。そういう自分の体験・経験を現実・事実と取り違えていることが多い。現実・事実は一人一人全く違った体験・経験をベースにして相互のコミュニケーションを通してのみ得られるものである。従ってコミュニケーションがなくなれば自分の体験・経験を現実・事実として錯覚してしまいやすい。コミュニケーションがないと自分だけの感覚、自分だけの考えすなわち誰にも分かって貰えない感覚・考え(幻聴や妄想など)が強くなり病気の症状といっていい出来事が起こる。
映画の話49 きみに読む物語
ある療養施設でたたずまいも美しく暮らす初老の女性(ジーナ・ローランズ)のところにデューク(ジェームズ・ガーナー)が定期的にやってきてある物語を読み続ける。デュークが一生涯誇れることは一人の女性を愛し続けたことである。
渡り鳥が飛来し、朝霧にかすむ美しい川のあるノース・カロナイナ州シーブルックに1940年10代のアリー・ハミルトン(レイチェル・マクアダムス)が家族とともに一夏を過ごすためにやってきた。彼女は大都市チャールストンの裕福な家庭の娘である。カーニバルの夜、アリーを一目みて惚れてしまった地元の成年ノア(ライアン・ゴズリング)は彼女に「君が望みさえすれば何にでもなる。」などといってやや強引に口説く。アリーもノアに惹かれていく。ある暑い夜郊外の古い家にアリーを連れ出したノアはこの家を白い美しい家に改築するの僕の夢だと語り、ノアと出会って絵を描くことが自分の夢と自覚したアリーはノアにアトリエを作ってほしいと頼む。2人は将来を誓いあったが、彼女の両親は材木工場で働くノアとの交際を認めず、彼女をチャールストンに連れて帰る。
夏は終わりアリーは学校に、ノアは第2次世界大戦の兵士として出征し、お互い引き裂かれていく。ノアは365日毎日手紙を書いたがアリーの母親に妨害されアリーに届かなかった。アリーは徐々にノアを忘れ、戦時下ボランティアで看護した兵士ロン(ジェームズ・マーデン)と新たな恋いに落ちる。ロンは富裕な弁護士で両親も大賛成である。一方ノアは失意のなか、あの郊外の家を改築しアトリエまでつくったのである。その家が売りに出され、家の写真と一緒に写っているノアを見たアリーは婚約者ロンにしばらく留守にするといってノアに会いに行くのである。その家とノアを見たアリーはすごく動揺する。
「アリーはどちらを選んだの?」と無邪気に質問する初老の女性。
2人は再開し手紙が届かなかったこともわかり、2人は再び結ばれる。アリーの母親も娘にノアからの手紙を返し、母親自身が過去駆け落ちまでしようとした男性の現在の落ちぶれた姿を見せる。
母親は経済的な問題を伝えたかったのである。たとえ愛は金には代えられないとわかっていても。
さてデュークが物語を読み効かせてきた初老の女性が認知症に罹っているアリーであることがわかり、デュークはアリーに2人の愛を思い出させたくて仕方がなかったのである。認知症のアリーは時にデュークを思い出すがすぐに忘れてしまいデュークはいつもがっかりする。デュークはノアとアリーが結婚し愛し合ってきたことを認知症のアリーに思い出させたかったが、心臓病で死期の近いデュークはある晩認知症のアリーと同じベッドで死んでいたのである。2人は永遠の愛を確かめあっているようだった。
人間にとってとても大事なものが愛であり、精神機能がたとえ落ちていても愛などの奥深いたましいに触れるものがひとを感動させる。
日本神話と精神医学68 気と毛と木
書記に韓国に渡ったスサノヲがひげを抜いたら杉に、胸毛が檜に、尻の毛がマキに、眉毛が樟になったと書かれてある。これは毛が木になったという話である。すなわち木は大地に生えた毛という印象をもっていたということだ。
毛国(シモツケ、カミツケ)は木と関係していると思われ、鬼怒川(ケヌガワ)、三池(ミケ)なども同様だろう。
さらに毛は気とも関連しており、毛は体から外に出現したものであり、気もこころの外に出現してきたものという意味があり、まさに木も大地から出現している。毛、気、木は生のエネルギーを意味として内包していることも相互に似かよっている。人間は精神現象を自然現象に例えたり、自然現象自身類似点を読みとったりして理解を深めてきている。
院内報69
日常心療内科・精神科臨床でよく使う説明5 重症でしょうか?経過はどうでしょうか?
心療内科・神経科・精神科の病気は一般的には不安障害などの神経症、躁うつ病などの感情障害、統合失調症の順に予後が悪いと言われているが、実際はかなり違っている。神経症でも強迫性障害や性格・抑うつ神経症などは治りにくい。感情障害でも躁病はかなり難しい側面がある。統合失調症でも当然同じ病名がついていても予後はまったく違う。統合失調症は人間関係が得意でない人におこりやすいが、人を信用していない人と人を求めている人とでは当然予後が違ってくる。人を信用しないということは医者を信用しないこと、薬を信用しないことにつなっがて、当然自分だけのやり方でうまくいかずに病気になってっきたにも拘らず、自分だけで治そうとして悪循環に陥りやすい。
このように人を信用できることが、予後と関係している。すなわち人を信用する、信用できるということは安心感を生み出し、病気に対する治癒力そのもである。
人格障害は病気というより性格の障害なので、性格という言葉自身に変りにくいという意味が入っている。人格の場合だけではないが、医療は治すためにあるだけではなく、状態・症状の悪化を防ぐという意味もあり、このように多くの人には気づいてもらえない、悪化を防ぐという重要な意味も医療にはある。病気は治すだけではなく、病気と付き合うことも大事である。
映画の話50 アヴィエイター
20世紀始め頃、石油掘削機会社を受け継いだハワード・ヒューズ(レオナルド・ディカプリオ)は巨万の富を使って映画「地獄の天使」のクライマックスである空中戦を実践さながらに撮影しようととして、MGMの大御所ルイス・B・メイヤーに足りないカメラを貸してくれとたのむが簡単に断られてしまう。ハワードは強迫的な完璧主義者で自身の広報係ジョニー・メイヤー(アダム・スコット)になんとしてでもカメラを用意しろという。さらに空中戦に雲がいるということだけでUCLAの気象学教授(イアン・ホルム)を雇う。映画が出来た頃、史上初のトーキーを見たハワードは全資産を担保に入れて出来上がった映画を音声入りに撮り直した。映画のプレミアム上映の時、主演女優ジーン・ハーロウ(グウェン・ステファニー)をエスコートし、前評判も高かったのもあり、上映後万雷の拍手が鳴り響きハワードは一躍ハリウッド・セレブリティになった。
飛行機にも興味を持っていたヒューズは飛行機会社ヒューズ・クラフト社を設立し優秀なエンジニアをやとって新型飛行機の開発に挑んだ。さらに航空会社TWAを買収し航空産業にも進出するのである。ちょうどその頃有名女優キャサリン・ヘップバーン(ケイト・フランシェット)と夜間飛行などのデートをして深い仲になる。この頃完成したジェラルミン製新型飛行機を操縦して時速566キロの世界記録も樹立する。有名人としての苦しみをキャサリンと分け合い、お互い愛し合う。しかしキャサリンの実家に遊びに行ったときにみせた全く別の顔のキャサリンにハワードがとまどったり、ハワードが別の女性とデイトするのにキャサリンが激怒したり、ハワードが大型飛行機ハーキュリーズの開発のみに集中したりして2人の間に大きな溝が出来、キャサリンは結局俳優スペンサー・トレイシーを愛するようになり、別れることになる。ハワードはキャサリンと別れたがすぐに次の恋愛相手である15歳のフェイス・ドマーク(ケリー・ガードナー)と付き合いだした。
仕事上ではTWA社長との会食の途中、パンナム社長のホアン・トリップ(アレック・ボールドウィン)と知り合い、ハワードは国際線に乗り出す決意をし、ヒューズとホアンは闘うことになる。ホアンは友人の上院議員オーウェン・ブリュースター(アラン・アルダ)を巻き込みパンナム社の独占を続けさせる「エアライン・コムニティ」法案を通させようとする。
プライベートの問題では妻のあるスペンサー・トレイシーとキャサリンのゴッシプ写真が雑誌に出るのを聞いたハワードはキャサリンに対する別れ際の冷たい態度を謝罪する気持ちでその雑誌を買い占めるのである。さらにハワードの映画「ならず者」がジェーン・ラッセルのバストを強調しているとの理由で上映禁止にされる。悪いことに、新しい恋人エヴァ・ガードナーとの付き合いに嫉妬したフェイスが、ガードナーと一緒にのっていたハワードの車にぶつけてきたりしてゴッシプ写真の格好の餌食になった。追い打ちを駆けるように自らデザインした偵察機を自ら運転するテストの日に右プロペラが故障して墜落しハワードは瀕死の重傷を負う。体だけでなく彼の運命も瀕死のままであり、病床に米空軍からの戦争が終わってハーキュリーズはいらなくなったという知らせがあった。退院後空軍の軍用開発資金を不正に使ったというブリュースター上院議員が差し向けたFBIの強制捜査もあり、ブry-スターは公聴会をするという脅しをハワードに掛ける。ブリュースターのTWAをパンナムに売れば公聴会をやめてもよいという働きかけにハワードは断固拒否する。
ハリウッドに戻ったハワードは緊張の糸が切れたのか、強迫症状が悪化し何日も試写室に閉じこもり強迫儀式と独り言の病的世界に埋没する。そんなハワードを心配して見に来たのが、写真の件を感謝していたキャサリンだった。キャサリンはハワードに会えなかったが、ドア越しのキャサリンの言葉はハワードに勇気を与え立ち直らせる。公聴会では逆にブリュースターとパンナムの癒着をあばき、ハーキュリーズ完成のため、空軍の資金だけでなく私財も投入していることをうち明け人生の全てを賭けたハーキュリーズを完成させると公言する。戦後まもないある日ハーキュリーズはハワードの果敢な挑戦に対する報償であるかのように大空高く飛ぶのである。
これだけの意欲、挑戦性、冒険心、勇気を持つには通常の精神力では不可能だろう。ハワードも母親に強迫的な細菌恐怖を植え付けられており、この完璧・強迫症状が常人を越えた人生をハワードに与えたと言える。
日本神話と精神医学 星、月、夜、闇
日本神話では星の話が少なくて星の神はカガセオと呼び捨てにされている。夜の食す国を支配する月読みの命自身の存在感も薄い。古事記・日本書紀の編集された直前の天武・持統期は道教、陰陽道、天文道などが非常に盛んで神話に星の話が少ないのは謎らしい。心理的には日本人は臭い物にふたをする傾向があり、死後の世界も神話ではあまり描かれていない。同様に夜の世界も日本人にとってはふたをしてしまう傾向があったと思われる。すなわち日本神話の筆頭神はアマテラスであり、太陽であり、お天道様といって日本人に崇められ続けてきており、闇・夜・月・星は負の対立概念を持ちやすくふたをしやすいのだろう。
日本の古代首都の大和は山に囲まれていて星を見なくても方角がわかり、星も重要視されなかった可能性もある。
このようなマイナス面を意識しにくい日本人の心理的構造は事なかれ主義を生み出し、無責任になりがちであろう。多くの場合、自分のマイナス面をみることが一層自分を落ち込ませる。しかし本当はマイナス面と向かうことが自分を深くさせるのだが、傷を深くさせずに自分のよくない部分を知ろうとするには相当の準備も必要である。
院内報70
日常心療内科・精神科臨床でよく使う説明6 仕事に行けますか?
確かに、なりたくない病気になって自分では治せずに医者にかかるのだが、医者が患者さんと関わってよくなって貰える部分と患者さん自身の自然治癒力、自分で自分を治そうとする主体性などが相互に働き合って病気が治るし治っていく。ただ薬をのんでるだけでは自分の病気にむきあうという主体性も弱くなり、病気が治らないで苦しむ場合もある。しかし今までの自分では治せなかったことを悟り、医者と協同作業して治して行く必要がある。仕事についてもいつ行けるかという疑問が患者さんからでてくるが、当たり前だが仕事は治ったら行けるのである。ではいつ治るかというと個人の性格・人格・環境など一人一人全く違っていて病気も違う。従ってそう簡単には病気の治る時期を予想しにくいこともあるのだが、ただ治るのを待つのではなく治そうとすることによってよりよく治していける部分がある。しかしこのことは早く治そうとあせることではない。病気に対してどのような対応がいいのか、どう過ごせばいいのかはいままでのやり方ではいけないだろう。さらに自分だけではなく、家族、人間関係を含む環境調整が非常に重要である。
仕事に行けますかと聞いてくる間はやはり自信がまだないことも多く、行けるようになったら自然と仕事に行けそうな気持ちが湧いてくることも多い。仕事に行かなければならないのは当然だが、どこかに仕事に行けるという自信が必要である。行かなければならないのなかに無理があっては、しばらくは出勤できても長続きしないであろう。
映画の話51 キングダム・オブ・ヘブン
12世紀末、十字軍が聖地エルサレムを支配してた頃、フランスのある地域で鍛冶屋をしているバリアン(オーランド・ブルーム)は子供を亡くした後、妻にも自殺されて希望を失いつつあった。そんな時、十字軍の騎士が突然彼の前に現れ、「私はお前の父だ。お前とお前の母に謝りたい。もしよければ、私の領地にきてくらないか?」と頼むが、バリアンはその話を断る。しかし自分の妻を葬ってくれた聖職者が自殺した妻は天国には行けないと侮辱し妻の十字架を奪っていたため、かっとなったバリアンはその聖職者を殺す。しかたなく父ゴッドフリー・イベリン(リ-アム・ニーソン)の後を追う。しかしバリアンはその聖職者が所属していた教会に命を狙われ、父と同行していた十字軍の騎士達は教会の追っ手と闘い、何人かは殺され、父も致命傷を負う。ゴッドフリーはエルサレムが良心に満ちた天国であり、キリスト教徒とイスラム教徒が共に反映する世界だと信じて、エルサレムのキリスト教徒の王に仕えており、自分の使命を息子バリアンに託して死ぬ。バリアンは妻子を亡くしたあとの生きがいをこの使命にしつつあった。
難破などの苦難のうえエルサレムに辿り着いたが、途中イスラムの身分の高い者と争ったが命を助けていた。エルサレムは国王ボードワン4世とサラセン王サラディン(ハッサン・マスード)と危うい平和を結んでいた。しかし和平はルノー(ブレンダン・グリーソン)などの狂信的な十字軍戦士たちに冒されつつあった。エルサレムでバリアンは賢明で手強い顧問ティベリアス卿(ジェレミー・アイアンズ)に歓迎される。ハンセン病に冒されていた国王を支えていたティベリアスはバリアンに王国内は不和に満ち、王国外はサラディンに囲まれている現実を知らせる。銀製のマスクで顔を隠すほど病気が進んでいたボードワン王はバリアンと合ってイベリンの土地と称号を継承させる。このとき王の妹でギー・ド・リュジニャン(マートン・ソーカス)の妻シビラ(エヴァ・グリーン)と運命的出会いをする。こうしてシビラとバリアンは深い恋いに陥る。
シビラの夫ギーはテンプル騎士団を率いてサラセンの隊商を攻撃し、サラセンと十字軍の闘いが切り開かれようとしていた。ボードワン王が話し合いをするためにルノーのカラク城に出発し、バリアンも王を待ち受けるため王より先に到着したがすでにそこはサラセンの軍勢に取り囲まれていた。王の到着前に民を守るためサラセンの大軍と死を覚悟してバリアンは闘ったが、偶然にも相手は自分が命を助けたイスラム教徒であったので、捕らえられただけであった。後に到達したボードワン王はサラディンと手を打ち衝突を回避した。バリアンは英雄になったが、ボードワン王の死後王権を握ったギーはサラディンと闘おうとしていた。ギーはエルサレム全軍を聖地からハッティンに向かわせサラセン軍によって全滅させられる。ティベリアスはエルサレムを去ったが、バリアンは民を守るためエルサレムでサラディン20万の兵士と闘おうとする。バリアンは指導者として民を騎士に変え、町を砦に変えて大軍からの攻撃を必死になって防いだ。サラディンの犠牲は非常に大きくなりやむを得ずバリアンと手を打ち、エルサレムの民は救われる。最後にバリアンはシビラと仲良く故郷で暮らすようになった。
一神教の宗教同志は基本的に寛容さに欠けるきらいはある。しかしそれだけ厳しい強い確かな一面をもっている。宗教を信仰しながら愛を貫く、人を愛する難しさや他の信仰を持つ人にも人への慈しみをもつことが戦争を防げるはずだが、現実は厳しい。
日本神話と精神医学70 箸墓伝説
ヤマトトヒモモソヒメは夫のオオモノヌシが蛇であることに驚いたので、私に恥をかかしたといってオオモノヌシは三諸山に帰っていった。ヤマトトトヒモモソヒメは責任を感じて陰部を箸でついて自殺するが、この死に方はムラムラの間引きと関係してくる。食べ物を確保するのが大変難しかった昔、ムラムラの妊婦は産婆に桑の木の先を尖らせて、子宮のなかの胎児を突き刺して貰って死産させることもあった。そのとき誤って子宮を突かれて妊婦が死ぬこともあったであろう。まさに生きると死ぬ、食べる、生殖、性器などが深くからみあってこの伝説はある。さらに恥、神、責任、自殺も絡んでくる。箸と墓まさに生きると死ぬを象徴している言葉であろう。間引きには他に石でお腹を叩いたり、産声をあげるまえに妊婦がお尻でつぶしたりしたらしい。伝説には時々忘れてはならない残酷さがあるということだろうか?
院内報71
日常心療内科・精神科臨床でよく使う説明7 こだわり・強迫について
人は清潔、秩序、完璧、納得、安全・安心などをえるために常に注意を払い確かめる傾向がある。しかしそれらはどこまで注意して確認すればよいのかは実は際限・限度がなく、結局自分の安心・納得だけによっているのである。しかし自分の安心・納得だけによっていると本当に安心・納得しきれるのかというと結局は不安になり、納得しきれずに何度も何度も確認せざるを得なくなり、自分でもやりすぎと思っていても確認せざるを得なくなる。こうなると強迫観念・強迫行為という症状になるのだが、これを治すのには症状と反対の態度や構えが必要になる。すなわち安心・納得してはいけないのである。不安や納得できない状態でかつ確認しないで絶え続けることが症状をよくするのである。すなわち不安でも納得しないでも事態は悪くなかった、悪くならなったという事実が患者さんをよくするのである。さらに自分一人の基準ではなく多くの人が安心・納得できる程度を自分の基準にとりいれることが重要である。そのためには人付き合いが欠かせないし、例え自分の基準より低くても人の基準を許すことも大事になる。また人の営みは無限にあるので自分の気にしていることはそのうちのひとつで、そのひとつにこだわれば他のたくさんの大事なことを失うということも知っておかなければならない。自分がこだわっている一つのことがいくら正しくても他の沢山の間違い・不十分さに気付かずある程度で手を打っているわけだからそのことを知れば主張を緩めざるをえないはずである。
映画の話52 フォーガットン
テリー(ジュリアン・ムーア)は1年程前9歳の息子サムを飛行機事故でなくして以来、来る日も来る日も息子サリーの思い出に浸って悲しみが癒えずにいた。精神科医マンス(ゲイリー・シニーズ)のカウンセリングにも悲しみは癒えることはなかった。ある日マンス医師の元に向かおうとしていたが路上駐車していた自分の車が見あたらず、別の場所にあった。何か記憶違いがあったのかテリーは違和感を持った。マンス医師の所でも飲んでいたコーヒーが突然消えて、マンス医師に尋ねたが「コーヒーの香りが君の記憶に影響を与えたのだ。」と言われたがやはり釈然としないままだった。
その晩、テリーが童話の編集の仕事に復帰したことを祝って、夫ジム(アンソニー・エドワーズ)がシャンペンを買ってきて2人で祝おうとしていた時に家族3人で写っていた写真から息子サムが消えていたのを知ってジムの仕業と思って怒りで家を飛び出した。公園でやはり娘を同じ飛行機で失っていた元プロ・ホッケーの選手アッシュ(ドミニク・ウエスト)と出会うが娘のことは覚えていないようだった。翌日家に帰りサムのアルバムやビデオテープを探したがサムの姿は跡形もなくなっていた。ジムの仕事先にTELをして怒りでジムに家を出ていってというが、あわてて帰ってきたジムに「君は病気が治ってきたのだ。いままで見えていた幻覚が消えたのだと言われ、さらにジムの連絡で駆けつけたマンス医師にも同じことを言われますます混乱してきた。マンス医師に入院を勧められたが、家を飛び出し図書館で新聞を探したが飛行機事故の記事は全くなかった。隣人に聞いても誰もテリーに子供がいたなどとは答えなかった。すがる思いでアッシュの家に押し掛け、酒によったアッシュが寝た後、テリーはアッシュの家の壁紙を見ていたときアッシュの娘ローレンが書いた落書きを思いだし壁紙をはぎ取るとローレンの書いた絵が出てきたのだ。テリーは人間わざではないのを感じて、翌朝アッシュに娘を思い出させようとしたが、突然安全保障局の人間がやってきてテリーを連れていく。アッシュは壁紙の絵を見た後、娘ローレンを思いだしテリーを追いかけ必死でテリーを逃しアッシュもうまく追ってを振り切ったが、2人は安全保障局と警察の両組織から追われる身になった。マンス医師にTELしもう一人娘を失った父親もいるので説明してほしいといったが「君はパニック障害だ。」と言われマンス医師も信用できなくなり、アッシュを励まし2人で事件を解明しようとする。ニューヨーク警察のポープ刑事もありふれた事件に安全保障局がでてくることに疑問を感じ、独自に捜査し始めた。飛行機会社を調べるうちある謎の男(ライナス・ローチ)がテリーの拉致に関わり、子供達が飛行機にのるのにも関わっていたことを思いだし、その飛行機会社の社長宅が無人になっていることも分かった。テリーを追ってきたポープ刑事はアッシュがその謎の男を拳銃で撃っても死なず逆に大空に吸収されるのを見て、テリーの言ったことを信じ始めた途端に大空に吸収されてしまった。謎の男は宇宙人であったのである。テリーは逃げて飛行場に行きそこでなぞの男に出会う。謎の男は「何故そんなに子供が忘れられないのか?忘れろ。」とテリーを強迫するが、テリーは子供のことは絶対忘れられないし忘れないと答える。このとき周りの人はみんな忘れてしまったのに何故自分だけが憶えているのか悟る。つまり自分が宇宙人の実験台だったのである。宇宙人は地球人の女性は自分の子供を忘れることができるかどうかの実験をしていたのである。結局最後まで子供サムを忘れなかったテリーに対し、忘れさせることの出来なかった宇宙人は敗北して消えてしまう。
テリーは最後まで自分を信じることの出来た非常に強い女性だが、人間や母は映画で描かれたようにそんなに強いかはわからないが母子の愛情は相当強いと人は思いたいのだろう。
日本神話と精神医学71 ヒルメ・ヒルコ
日神アマテラスと月神ツキヨミとスサノヲの3神の取りあわせには矛盾がある。性格のはっきりしたスサノヲという人格神に対して、日神・月神は自然神である。さらにヒルメはアマテラスと同一視されているが、ヒルコはすてられる不具者である。当時女性はシャーマンになり祭事権を持っており、男性はその支持に従う一面があった。従って女性神ヒルメ、男性神ヒルコを日神と月神にあてはめるとき、ヒルメはあてはまうが、ヒルコは月にあてはまらず捨てざるを得なかった。そこで神話で捨てられる話が生まれたと思われる。このように女性神が日本民族の祖先紳のわけはシャーマニズムという信仰形態が日本にあったことと深く関係しており、現在もシャーマニズムは恐れ山のイタコや沖縄のユタという形態で日本に残っている。日本人の男性はどこか女性を恐れるのはこのこととも関係しているだろう。
院内報72
日常心療内科・精神科臨床でよく使う説明8 眠れないんですが?
一口に不眠と言っても色々な場合がある。寝付きが悪かったり、途中で目が覚めたり、朝早くに目が覚めたり、2度寝が出来なかったり、一睡も出来なかったり、眠りが浅かったり、トイレに行くため起きやすかったりこのように一人一人不眠も違っている。多くの人は眠れなければ一層寝よう寝ようと努力したりしてさらに眠れなくなる。通常寝よう寝ようとすればするほど眠れなくなるのは当たり前である。なぜなら眠れている人は眠たくなるから寝るのである。睡眠は覚醒した意識状態がなくなって、夜という暗闇のなかで一種孤独な闇の中に入るのだから、本当は不安で怖いものである。それにも拘わらず眠れるのは体が自然な状態に加えて相当な安心感があるからだろう。この安心感は夜寝るときに生じるのではなく、日中の生活上の安心感それもある程度安心感が持続している時に持てるのであろう。それが人を眠くさせるのであろう。従って安心感がなく眠たくならないときに、頭や心を使って無理に寝ようとすればするほど意識が働いて覚醒し目が覚めてくる。逆説的だが眠れないので寝ようとすればするほど一層自分を眠りにくくするのである。ではどうすればいいのか?普段の日常生活の中に不眠の原因があるのだから、眠れないのなら寝ようとしないで布団の中で目をつぶって静かに休むのである。眠れなくても体を休めるだけでかなり睡眠の代わりになるだろう。不眠で日中だるいときは無理をしないことも大事だろう。
このように不眠にも種々の特徴があり、寝付きが悪いのは最近のストレスや葛藤、悩みなどが原因になっていることも多く、途中で目が覚めやすいのは自分でも気付かないうちに無理を重ねているときに多い。このような不眠の原因を元から断つのも大事だが原因がなくなってもすぐ眠れるようになるかと言えばそうではない。無理、葛藤、悩み、ストレスが貯まっていて不眠、体調不良、一層の不眠という悪循環は簡単にはなくならない。そんな場合薬がその悪循環を断つのである。
映画の話53 姑獲鳥(うぶめ)の夏
昭和27年の夏の話である。小説家の関口(永瀬正敏)は友人の古本屋で安部清明ゆかりの神社の神主であり憑き物落としの京極堂(堤真一)を何かと頼りにしている。ある日京極堂の妹中膳寺敦子(田中麗奈)に最近雑司ヶ谷産科大病院の久遠寺医院の娘梗子(原田知世)が妊娠20ヶ月になっても出産しないという噂があるのでそれに関する原稿を関口に依頼する。京極堂は久遠寺医院の娘梗子の婿が旧制高校の一年先輩の牧朗でありここ一年半ほど前から行方不明になっていることもあり胸騒ぎを覚え、やはり先輩の探偵榎木(阿部寛)に相談するよう関口に勧める。榎木の事務所を訪れた関口は偶然そこで妹婿の牧朗の行方を探して貰いたいという依頼をしにきた久遠寺医院の姉娘涼子(原田知世の二役)と出会う。関口は涼子との出会いになにかしら因縁を感じる。
いよいよ榎木と関口は久遠寺医院を訪れるが梗子の病室に入ろうとした榎木はその部屋のあまりの不気味さに入れなくなる。榎木は見えない左目で他人の記憶を見ることが出来る超能力を持っていたため何かを感じたのである。代わりに関口が入るが梗子の妊娠以外には何も気付かなかった。実はそこには牧朗の死体が一年半もおいたままにされていたのにである。
一方刑事で戦争中の関口の部下であった木場が久遠寺医院で赤子がいなくなるという事件を変死した久遠寺医院の看護婦から聞いたため捜査していた。さらに久遠寺医院の娘が赤ん坊をさらっていったという話をさらわれた赤ん坊の父親原澤から聞き出す。原澤は死んだ看護婦からその話を聞いたのである。さらに久遠寺家は他人に死んだ子を憑かせて呪い殺すおしょぼ憑きの筋だとも分かる。梗子の20ヶ月の妊娠。その夫牧朗の失踪。新生児の誘拐。憑き物筋。関口の涼子との関係。分けの分からない関口は京極堂に事件の解決を依頼する。京極堂が事件を徐々に明らかにするなか、久遠寺医院に子供を奪われたと確信した原澤は久遠寺医院を焼き討ちにくる。
医院が焼け落ちる中、さらに京極堂は謎解きをすすめる。すなわち牧朗は学生時代涼子と関係を持ち妊娠をさせてしまうが、久遠寺の両親はそれを許さず子を堕胎させてしまう。そのため涼子は精神変調を来たし母、姑獲鳥、男性好きのニンフなどの多重人格が出現する。関口は姉の涼子すなわち京子という字と似ているため梗子と間違って愛し合う。恋愛は成就せず関口は京子を忘れざるをえなくなる。一方牧は傷心しながらもドイツ留学して立派な医師として帰国し久遠寺医院の養子となり気の確かな梗子と夫婦となる。しかしドイツ留学時代戦争の爆撃のため性的不能者になっていたため、梗子と久遠寺医院の医療助手との肉体関係を許さざるを得なくなる。そのため牧朗は自分の精子を使った人工妊娠の技術に成功し、もう梗子の医療助手との性的関係をみとめなくなる。しかし梗子は性的関係を諦められず、夫を殺してしまいそのまま想像妊娠し寝たままになる。姉の涼子は失った子供、想像妊娠したままの妹梗子、異常な赤ちゃんとして自分の子を堕胎させた両親、憑き物筋の家などなどから久遠寺医院で生まれる赤ちゃんをさらって頭を石でつぶし異常な子がうまれないようにする姑獲鳥となる。最後に焼け落ちる建物の屋上で一瞬我に帰った涼子はさらった赤ちゃんを関口に返し焼けて崩れる建物とともに死んでしまう。
子供を奪われた母は正気をなくすのが当然だろうが、最近は自ら子供を殺してしまう母親もいるのは女性性の変化を物語っているのだろうか?
日本神話と精神医学72 神宮皇后
第14代仲哀天皇の妃で天皇と共に筑紫に遠征し、仲哀天皇の崩後住吉の神の託宣に従って新羅に遠征し服属させ、息子応神天皇に位をゆずる伝説上の存在である。日本の女性は夫亡き後も夫の意志を継ぎしっかりと生き子供を育て、父から子への力の継承をスムーズに成り立たせる母として描かれている。このように父がいなくても母はしっかりと子を育て夫の代わりをすることは日本女性の強さが表れており、父がいなくても子を育てられるという父の力のなさも表しているのかもしれない。それどころか仲哀天皇は神功皇后の実家の息長氏によって殺された可能性もあり、女性と実家の結びつきの強さを表している。またこのことは日本女性の実家への依存も表しているのではないか?現在の嫁姑問題はまさに夫の家と妻の家とのある意味闘いを表しており妻の力が強くなりつつあることは妻の実家の影響が強くなっていることを表しているのだろう。
院内報73
日常心療内科・精神科臨床でよく使う説明9 人間関係が大変なんですが
人間関係は相互に種々の情報をやりとりをしているが、大きくふたつに分けて言語的コミュニケーションと非言語的コミュニケーションがある。言葉によるコミュニケーション方法を通じて他の方法も類推出来る。さて人が話す言葉はまず音であることを自覚しておかなければならない。その音に個人個人全く違った意味が付属していると同時にお互い共通の概念も付属している。例えばお母さんと言ったときそれぞれの個人はまず始めに自分の母親をあたまに浮かべるだろう。言葉はこのように一人一人違った意味を持っており、さらにその意味には感情や個人個人の思い出、体験が結びついておる。自分でも気付いていない無意識的なものまで言葉は含んでいる。自分には当然の意味を持つ言葉が相手には全く誤解されて伝わる部分があることを知っておかなければならない。言葉には共通の概念もあるから会話が成立しているのだが相手の気持ちが簡単にわかったらそれこそ大変である。すなわち相当誤解があるにも拘わらず簡単に分かるのは思いこみと言えるだろう。精神科医は人をすぐ見抜けると誤解している人があればここでそれを訂正しておきたい。精神科医は人の話を聞いても聞いても簡単には分からないのである。しかし聞くことによって少しずつだが聞く前より確かに分かるのである。さらに人は自分の話を聞いて貰うことによってすっきりし、聞いてくれた人を分かってくれようとしている人と感じるのである。ここで一機に際限なく話しをするのはよくなくて徐々話をしていく必要がある。
では聞くだけでいいのかというとやはり話も大事でどう伝えれば自分の気持ちが分かって貰えるのか?これは話を聞くなかで相手が受け入れてくれる言葉かどうか分かったのちに、話をすればいいのである。受け入れてくれる言葉かどうかわからずに一方的に自分の正しいと思うことを話すのは押しつけであり、説教であるだろう。
映画の話54 亡国のイージス
海上自衛隊のイージス艦(護衛艦)いそかぜは由良港に停泊していた。いそかぜの仙石先任伍長(真田広之)は部下達の内、仲間にうち解けない如月(勝地涼)が気になっていた。今回いそかぜには不審な荷物と共に海上訓練指導隊の溝口実は某国元工作員ヨンファ(中井貴一)達が乗り込んできた。同日午後出航したいそかぜでは訓練魚雷の落下など不審な事故が続いていた。その事故で死亡した仲間の死体を放置したままにする艦の行動に疑問を持った仙石は宮津副長(寺尾聡)から工作員如月がこの船を爆破させようとしていると聞かされる。機械室に閉じこもった如月は全員離艦しないといそかぜを沈めると脅迫していたのである。如月と絵心を通じて心を通い合わせていた仙石は機械室に単独乗り込み如月が仙石を殺すのを一瞬ためらった瞬間に如月をおさえた仙石は如月を宮津達に渡した。しかし機械室で仙石は如月から自分は防衛庁情報局内事本部長渥美(佐藤浩一)の部下であり、宮津副長とその手下達さらに訓練指導隊の溝口実はヨンファ達は艦長を殺し、アメリカから奪った特殊兵器GUSOHを使って東京を破壊すると言って日本に脅しを掛けようとしていると聞かされた。そのため防衛庁情報局からの命令で艦を爆破させようとしているとも聞かされた。如月の話は信じられなかった仙石だが宮津達が艦員全員を下ろさせたため如月の話を信じるようになり、一人で捕らえられた如月を救うために艦に戻る。宮津は自分の息子が論文亡国の盾で防衛庁に危険視され活躍の場を失い自殺し、さらに国防勉強会を開いていた宮津学校の部下達が左遷され、同じく某国本国から危険視され、GUSOHを手にしたヨンファと手を結び日本政府に脅しを掛けようとしたのである。いそかぜはうらかぜをハプーンで攻撃し政府と特別交渉に入った。仙石は戻ったいそかぜの中でその話を聞き艦をよく知っていたため一人でいそかぜの宮津・ヨンファら現乗員を振り回し如月と合流する。2人は外部との連絡を発光信号で送り潜水艦せとしおからいそかぜに侵入しようとしたがヨンファに見破られ失敗する。政府はテルミットプラスを使ってGUSOHを破壊する決断をしつつあった。ミサイル発射装置も破壊しようとして仙石・如月とヨンファら工作員との血で血を洗う争いが繰りひろげられた。テルミットの発射を決断した政府。ヨンファとGUSOHを奪い合う仙石。最後に仙石はGUSOHを確保し、テルミット発射が中止された。
人には欲があり、喧嘩もする。すなわち国家同士も領土の奪い合いに加えて戦争も行ってきた。この人間の特徴を知っていれば武力を持ちながら平和を目指すのは当然であり世界のほとんどの国がそうしている。しかし日本だけ戦争放棄の憲法を持っていて、武力行使に手枷足枷をはめているが現実はアメリカの武力に依存している。本当に平和は難しい。
日本神話と精神医学73 秋山の下氷壮夫(おとこ)と春山の霞壮夫
出石の八前の大神の娘イズシオトメにはたくさんの求婚者がいた。秋山の下氷壮夫も失敗していたので弟の春山の霞壮夫にイズシオトメと結婚できたら酒や山河の産物をすべて用意すると約束した。母神が藤蔓で作った衣、袴、くつ、くつした、弓矢などを身につけてイズシオトメの家に行った。そこで衣服と弓矢は藤の花に変わった。霞壮夫はその藤をイズシオトメの厠に掛けておくとオトメが藤を母屋に持って入り、霞壮夫も一緒に入り、オトメと婚し子供を一人もうけた。兄にこのことを報告しても約束を実行しなかったので母神の呪いで兄は8年間病んだ。最後に兄は母神に許しを乞うて病が治った。この話はアメノヒボコ伝説とともにやってきたものだが、海幸山幸神話と非常ににている。藤の花などは春を象徴し、山河の産物は秋を象徴している。兄である秋がやはり母神あるいは弟の春に許しを乞うテーマは親を継ぐのは長幼の差でなく、実力主義ということかも知れない。
院内報74
院内報75
日常心療内科・精神科臨床でよく使う説明11 何故この子だけが?
母親はこころの病気になった子供について他の子供と差別しないで育ててきたのにどうしてこの子だけが病気になったんでしょうかとよく尋ねる。しかし同じように育ててきたということには大きな問題が潜んでいる。すなわち同じように育ててきたつもりでも同じに育てたわけではない。さらにこの言葉には母親だけが子育てに責任を負っているような自責の念も入っていそうである。母親は基本的には子供を愛していてよかれと思ってやっていることが多く、子供の体質の違いや父親などの他の家族の役割、さらに近隣、学校などでの人間関係における子供への大きな影響を母親自身が充分コントロール出来ていなければならないと思いがちである。しかしそれほど母親が全責任を背負わなければならないかというとそうではないだろう。例えば夫婦仲が悪ければそのことだけで子供への余裕がなくなり、それを一方的に母親のせいににすることは間違いだろう。また自責の念が強くなって母親が全責任を感じて元気をなくすこと自信が子供の回復を遅らせるだろう。
しかしだからといって完璧な人間はありえず、母親は母親で父親は父親で本人は本人でどんどん自分を変えて生き生きさせる必要はある。各自自分を変えるためには閉じこもらずに人や社会に開かれて本人だけでなくみんなが変わることによって本人も変わっていけるだろう。ただしいくら開かれていることすなわち人間関係が大事といっても無理して参ってしまっては意味がないのだから生き生きや元気をなくさないことを基準にさらに単に今だけでなく長く生き生きすることを基準にしなければならない。
映画の話56 シン・シティ
第1話 特別屈強で暴力的な一方正義感もあるマーヴ(ミッキー・ローク)は醜い傷跡のため女から相手にされなかったのにある日高級娼婦ゴールディ(ジェイミー・キング)が愛をくれる。しかしその次ぎの朝ゴールディは殺されており、それを誰かが通報しマーヴは警察に捕まりそうになるが寸前のところで逃げることが出来たが犯人にされる。馴染みのストリップバー”ケイティ”で追っ手を迎え撃ち黒幕の神父に行き着き、さらに大物の農場に辿り着く。その農場で不気味なメガネ男ケビン(イライジャ・ウッド)に倒される。この男は女性を殺してはその肉をステーキにして食べるというカニバリズムの異常者であった。この男こそゴールディ殺しの犯人だと確信したマーヴは捕らわれた場所から脱出し、駆けつけた警官を返り討ちにしてその大物の名がアメリカを陰で牛耳るロアーク枢機卿であることを聞き出す。
街に戻ったマーヴはゴールディにそっくりな女に命を狙われるが、それはゴールディの双子の姉ウェンディであった。やがてウェンディはマーヴがゴールディ殺しの犯人でないことが分かり、二人でその農場に戻りマーヴはケビンを残虐な方法で殺し、ロアーク枢機卿を追いつめゴールディと関係を持っていたこと、ゴールディを殺させたことを白状させた。
第2話 元パパラッチで今は娼婦の街の用心棒ドワイト(クライヴ・オーウェン)はシェリーと関係を深めていった。シェリーの部屋で二人が密会しているときに、シェリーを無理矢理自分の女にしている刑事ジャッキー・ボーイ(ベニチオ・デル・トロ)がやってきたのでドワイトがシェリーの部屋の片隅に身を隠していた。ジャッキーがシェリーに対し付き合っている男がいることを責め立てたてので、ドワイトは切れてジャッキーをこてんぱんにやっつける。痛い目に遭わされたジャッキーは怒りにまかせてオールドタウンに行くが娼婦達を拳銃で脅かしたりしたので殺人兵器ミホが刀でジャッキーを瞬時に殺してしまった。身分証からジャッキーが警官であることがわかり、警官を自由に遊ばせるならオールドタウンは目こぼしするという約束を破ったことになってしまった。ドワイトの元恋人でオールドタウンのトップのゲイル(アレクシス・ブレデル)はドワイトと謀ってジャッキーの死体を始末しようとするが、オールドタウンを狙っているギャングに家族を脅かされ、金にも困っていたベッキーに密告された。ドワイトはギャングの用心棒マヌート(マイケル・クラーク・ダンカン)一味にジャッキーの首を奪われそうになり、オールドタウンで凄絶な銃撃戦が始まり、オールドタウン側が勝利する。
第3話 シン・シティ最後の正義ハーティガン刑事(ブルース・ウィリス)は狭心症に苦しみながらも、3人の幼女殺しの犯人ロアーク・ジュニア(ニック・スタール)を追いつめる。ロアークが新たな犠牲者11歳のナンシーを誘拐していたため、ジュニアを半殺しにして性的機能も奪いナンシーを救出するが、仲間の刑事ボブ(マイケル・マドセン)に裏切られ撃たれる。そして息子の復習に燃えるロアーク議員はハーティガンを苦しませるためにハーティガンの命は維持される。ハーティガンは罪をきせられ投獄され拷問を受ける。牢獄で罪を認めないハーティガンを支えてきたのは何年も手紙を書き続けてくれたナンシーであった。8年後ナンシーからの手紙が途絶え、ナンシーへの脅迫を示唆する女性の指を送られたハーティガンは敢えて罪を認め出獄する。ナンシーの無事を見届けるためにナンシーの部屋にあった手がかりになるストリップ・バー”ケイティ”のマッチを頼りに”ケイティ”にやってきたハーティガンはそこで艶やかに成長したナンシーを見つける。ハーティガンはイェロウバスターの尾行に気づきすぐにそこを立ち去ろうとした時ナンシーがハーティガンを見つけ抱きしめにくる。イェロウバスター実は異臭を放ち醜く整形されたロアーク・ジュニアがハーティガンへの復習のため罠にかけナンシーを見つけたのである。ナンシーを奪い、ハーティガンを捕らえ殺そうとしたイェロウバスターはナンシーを復習のため犯そうとする。かろうじて脱出したハーティガンはナンシーの救出のためイェロウバスターと決闘し勝利する。ナンシーとハーティガンはお互いに惹かれ合うがハーティガンにとってナンシーは職業上の関係や年齢差などなどの神聖な存在のため手も触れることができなかった。最後にこの事件をしめくくりナンシーとの関係をこのままにするために彼は自殺する。
罪の街シン・シティは人間の腐敗しきった側面を描くとともに正義の存在も描いている。人間は神でも悪魔でもないということである。この映画はカラーを部分的に使用した白黒映画だが背景の黒さが人間の悪徳を表し、カラーがそれに対するアクセントすなわち正義なども象徴しているようだが正義は単なるアクセントなのだろうか?
日本神話と精神医学75 天つ罪・国つ罪
1畦放ち 2溝埋め 3樋放ち 4頻蒔き 5串刺し 6生剥ぎ 7逆剥ぎ 8屎戸の8種が天つ罪、9生膚断 10死膚断 11白人 12こくみ 13己が母犯す罪 14己が子犯す罪 15母と子と犯す罪 16子と母と犯す罪 17畜犯す罪 18昆虫の災い 19高つ神の災い 20高つ鳥の災い 21畜仆し蠱物為る罪の13種が国つ罪である。
天つ罪は古代農耕社会の根幹を揺るがすことであり、国つ罪は個人の罪、非道徳、疾病、災害などの個人の問題である。
さて天は高天原、アマテラスオオカミ、天皇家とも関係しており、天つ罪の天により暗黙の内に天皇家が社会、国家の代表であることを表していることになる。一方国、国家、国民は個人を示唆していて天皇家に支配されることを含んでいる。まさに天皇は天の下の国をシラシメスすめらのみことと言ってるのである。このように神話において人は支配階級に無意識の内に支配されている一面がある。
院内報76
日常心療内科・精神科臨床でよく使う説明12 コムプレックスという言葉は劣等感を指すとは限らない。
普通の人はコムプレックスというと劣等感のことだと思うが、本当の意味はそれだけをさしているのではなく、複合観念一般をさす。それは幼児期の人間関係に根ざした複雑な感情、情緒、観念である。
例えばある子供に弟や妹が生まれると、両親の愛情・関心のかなりの部分が下の子供に行き本人は両親に嫉妬、下の兄弟に妬みなどの感情が起こる。本人のその感情に両親が気付いている場合、気付かない場合、無視した場合、我慢させた場合、代償に物を与えた場合、それなりに気遣った場合などなど、この時の心理状態は後の人間関係・3者関係の時の本人の複雑な感情、態度と大いに関係してくる。
母親を独占したいのに邪魔な父親がいる時にその母親との関係、父親との関係すなわちエディプスコンプレックスなども有名である。
その他兄弟間の妬み、争いを含むカインコプレックスもある。人の感情はこのように幼児期からの家族毎の複雑な人間関係に基づいている。
映画の話57 親切なクムジャさん
親切なクムジャさんと呼ばれている女性(イ・ヨンエ)はサンタクロースの衣装を着た聖歌隊や伝道師に迎えられて13年間服役した刑務所を出所する。しかしクムジャは刑務所のなかで親切だった態度と全く違っていて何か特別な冷たい意志を持っているかのようだった。クムジャは幼児誘拐殺人で服役していたのである。高校時代に妊娠したクムジャは教育実習のペク先生(チェ・ミンシク)に助けを求めたがこのペク先生が悪人で身代金目当てにウオンモ君誘拐殺人をしたのだが、クムジャはその犯罪を手伝わされた。さらにクムジャの子供も殺すと脅かされ罪を一人で被るのである。クムジャは刑務所生活で相当辛酸を嘗め、自分の人生を狂わせたペクに復讐を誓うのである。そのため苦しんでいる囚人に親切にし自分の復讐計画を手伝って貰う準備が徐々にできてきたのである。
出所後先ず始めにウオンモ君の両親を尋ね自分の指を切って、許しを乞う。次ぎに刑務所でケーキ作りを教えてくれたチャン(オ・ダルス)の店で働き始める。働きながら自分の娘ジェニー(クオン・イェン)の居場所をつきとめ、オーストラリアに養子に貰われたことが分かり会いに行く。帰り際どうしても韓国に行くと言い張ったジェニーを連れて帰る。クムジャは囚人仲間に助けられペクの居場所を知り仲間の一人イジョン(イ・スンシン)がペクと結婚をしたのである。クムジャとイジョンが会っているという情報をあの伝道師(キム・ビョンオク)がペクに売り、ペクは二人の男を雇いクムジャを殺そうとした。しかし根性の坐っていたクムジャは反撃し、さらにイジョンに薬をもられて気を失ったペクはクムジャに捕らえられ山の廃校に監禁する。そこでペクの携帯電話のなかに子供達の声が入っていたり、ウオンモ君のビー玉がストラップにされているのをみたクムジャはペクの家を調べ犠牲者が他にもいることが分かる。ペクに復讐したい犠牲者の家族と真犯人ペクを捕まえられなかった警察に疑問を感じていたナム・イル刑事を山の廃校に呼び出し、ペクの家から持ち出した子供殺害ビデオを家族に見せみんなでペクをどうするか相談する。
結局何も出来なかった警察に頼むより遺族全員がペクを殺し復讐することに決定した。復讐を実行した後、ケーキ屋に集まりペクの財産を山分けし各家族は三々五々別れる。復讐を終わってジェニーと別れることになるその朝は過去を洗い流すかのような雪が降っていた。
復讐が終わった後、人はそれに変わりうる意志を生み出すのは並大抵では出来ないし、虚脱状態になるのではないか?昔の敵討ちはその行為によってみんなの賞賛もあったが、現在では賞賛されることはなくなっているのだからその人の怒り・悲しみを治めるのに一番いい方法は何だろう。
日本神話と精神医学76 相撲
天下一の強力と言われた当麻蹶速(たいまのけはや)は出雲の野見宿弥(のみのすくね)と力競べをした。これが相撲の起こりであると言われており、当麻のある飛鳥地方に相撲神社がある。以後この野見宿弥は当麻蹶速の領地(葛下郡当麻)を賜って朝廷に仕えることになった。この野見宿弥は殉死を禁じた後の皇后日葉酢媛の埋葬の際に埴輪を立たせて、以後野見宿弥は土部臣と改姓した。
朝廷内で葬礼の仕事を土師氏と当麻氏が争っていたのを相撲に例えたとも言われている。さらにすもうはすまいという発音からきており、神に捧げる舞いという意味もあり、このように相撲は神話や朝廷と結びついており、神事と言われている。色々の争いを相撲という神事・スポーツに昇華したとも言える。日本のスポーツは神事や道という道教的なものと結びついており、日本人はこのように何事も権威を持たせようとする傾向がある。
院内報77
日常心療内科・精神科臨床でよく使う説明13 苦しい症状をなくそうとすれば余計に苦しむ
精神科・心療内科の疾患は他の病気と同様、本人が望んで引き起こしたわけがない。本人の悩んでいる症状をターゲットにして治療できる内科・外科に比べて、精神疾患は患者さん自身がそれをターゲットにして治そうとすればするほど、注目がその症状に集まって一層症状が強くなる傾向がある(心身交互作用)。精神は自由自在に大きくなったり、小さくなったり出来るため例えば心臓の動悸に注目すればするほど、心臓の動悸が強くなる。精神が心臓や動悸への関心だけに占められる。従って逆説的だが症状を軽くするためには治したい症状を苦しくても持ちこたえながら、注目を症状からそらすため出来るだけ楽しいこと、安心できること、落ち着けること、軽い運動、趣味などの気分転換や楽しみなどをもつことが大事である。逆にこだわればこだわるほど症状の袋小路からでれなくなるのは強迫症状などの精神病理からも理解できる。
映画の話58 SAYURI
昭和の始め、貧しい漁師町に生まれた千代と姉の佐津は父により、花街に売られる。千代は神秘的な青灰色の瞳を持っており、置屋新田のおかあさん(桃井かおり)に気に入られるが、姉の佐津は女郎部屋に行かされる。新田には花街一の売れっ子の初桃(コン・リー)や見習いのおかぼ、大きいおかあさんなどがいた。家族から引き離されたつらさ、下働きのつらさ、何故か千代を目の敵にする初桃など幼い少女には過酷すぎる日々であった。ある日女郎部屋に姉佐津がいると聞いて姉に会いに行き、二人で花街を逃げる計画をしたが、結局逃げられず、怪我をし、さらなる借金を背負い、その上両親が死んだことを聞かされる。花街で生きることを決めたが、芸者になる稽古にも通わせて貰えなかった。そんな時会長さんと呼ばれていた立派な身なりの紳士(渡辺謙)にやさしく声をかけて貰って、こころから芸者になることを決めた。芸者になればその会長さんにあえるかも知れないと思ったのである。
数年がたち千代に転機が訪れた。芸者のなかの芸者と言われている豆葉(ミシェル・ヨー)が千代を芸者に育てたいと行ってきた。稽古を再開し、豆葉に厳しく躾けられた千代は芸者さゆり(チャン・ツィイー)として花開く。男達を虜にするさゆりだが、彼女の心は一度あったきりの会長さんのものだった。ついに会長さんに再開し、会長さんが岩村電気の創業者だったことが分かる。会長はさゆりに特別な関心を寄せず、一方芸者嫌いの会長の友人延(役所広司)ですらさゆりに魅了される。さゆりに敵愾心を抱き罠をしかける初桃、初桃に逆らえないおかぼ(工藤夕貴)との疎遠、好きでもない男を旦那に持たなければならない水揚げなどを経験し輝きをますさゆり。
しかし日本が徐々に戦争に突き進んで行く中、会社も花街もなくなり、日本が敗戦しアメリカに占領される。アメリカの将校に取り入り会社を再開するのに、会長と延は芸者さゆりに接待を頼む。さゆりはおかぼの助けをかりたが、実はおかぼはさゆりをねたんでいた。接待の場所で会長と二人で会えるようおかぼにも頼んだが、おかぼはアメリカの将校をあわせてさゆりはその将校に乱暴されそうになるが、それを会長に見られる。しかし最後に会長と二人で会い、さゆりの本当の気持ちを伝えた。実は会長がさゆりを育てることを豆葉に頼んでいたことも告白し、さゆりを好きになった延に遠慮して近づかなかったことを話す。二人はここにはじめて愛を確かめ合う。
日本の伝統、歌舞、着物、女性、上品さなどの素晴らしさが描かれているが、女性がつらい思いをして始めて得られた美しさであることを知っておかなければならないだろう。
日本神話と精神医学77 出雲
日本神話は高天原神話、出雲神話、日向神話に分けられるが出雲はこのように神話において非常に大きな役割を演じている。さらにオオクニヌシ、スサノヲの根の国、イザナミの黄泉の国なども出雲と関係する。出雲は何故神話において重要な役割を担っているのだろうか?民族学からは出雲は縄文人の系統を引いているという説もあり、さらに考古学の古墳からは前方後円墳と違った四隅突出方形墳が発掘されており、大和や九州とは異質な面がある。国引き神話の別の土地が出雲に引っ張られてきた話は、すなわち住民が大和や九州と違っているとも考えられる。暦でも出雲は11月を神有月というように出雲に神が集まるところである。自分の中に異質な要素があってもそれを自分の中に取り込むことが一番の安定を生むということなのか?
院内報78
日常心療内科・精神科臨床でよく使う説明14 妄想と否定する事は出来ない
妄想の定義は訂正することの出来ない誤った確信である。従って妄想を否定し訂正しようとすることは無意味であり、患者さんとの距離を一層大きくすることになる。ところである人の感覚、体験は別人には決して体験できない。ただ相手の言葉を聞き、相手の態度・行動から想像・洞察するだけである。従って人は一人一人全く違った経験・体験をしており基本的には人は相手の体験を否定できるわけがない。しかしここで重要なのは妄想と言われるのは相手には理解・納得できないからであり、妄想のような内容は相手にはあり得ないことである。すなわち人とのコミュニケーションが取れないということであり一緒に生活・仕事・遊びなどをしていくのに大きな困難を伴うということである。
このように妄想を持っているかどうかより一緒に過ごしていけるかどうかが重要なのである。
映画の話59 3丁目の夕日
昭和33年東京タワーが建設中だった頃、人々は未来に向かってがむしゃらに働いていた。中学卒業後、地方から集団就職で東京にやってくる若者も多かった。星野六子(堀北真希)も期待を膨らませて、夕日町3丁目の鈴木オートに就職したのである。しかし六子は大きな会社だと思っていたのに小さな町工場でがっかりしてしまう、しかし気を取り直して頑張っていた。鈴木オートの社長則文(堤真一)は短気でそそっかしいが根は善人であり、妻トモエ(薬師丸ひろ子)は優しく、やんちゃな子供一平(小清水一輝)に囲まれて元気に仕事をしていたが、修理の知識は全くなく、最初は全く役立たずであった。履歴書には自動車修理が出来ると書いていたのにあまりの出来なさに堪忍袋の緒が切れて則文は六子とぶつかってしまう。喧嘩の最中六子の履歴書には自転車修理と書いてあったのを読み間違えていたことが分かり、則文は六子に謝ってまた一緒に仕事を始めるのである。
ところで夕日町3丁目には駄菓子屋の店主で小説家志望の茶川竜之介(吉岡秀隆)がすんでおり、最近開店した一杯飲み屋の若い女将ヒロミ(小雪)の所によく飲みに来ていた。ヒロミの友人の息子淳之介(須賀健太)が誰も引き取り手が無くヒロミのところにやってきたが、ヒロミは一人暮らしの茶川に無理矢理淳之介を押しつけてしまう。最初は邪魔者扱いしていた茶川が生活のため冒険少年ブックに連載している少年冒険団を淳之介が大好きなのを知って二人は仲良く暮らし始める。ヒロミもたまに世話をしに来てくれて茶川はまんざらでもない。3丁目の鈴木オートにテレビがやってきた時などみんなが集まって力道山を見るほどだった。ところがテレビがやってきたその日にテレビが見えにくくなったため東大卒の茶川は僕が直せるとしゃしゃりでて結局直せず恥をかくことになった。また淳之介の描いた未来の話を少年冒険団にちゃっかり採用したりして淳之介に借りの意識を持ったりもした。
そのころ淳之介は母親の居所がわかり一平と一緒に淳之介の母親に会いに行くが結局会えずに終わり、家に帰るお金がなくなり途方に暮れるが一平の母トモエが困ったときに利用するようにといっていたセーターのつぎはぎにお金が入っていたのでようやく家に帰れる。一平の家族はそれこそ心配で心配で大変だった。帰ってきたときには一平は家族に受け止められ、以外にも淳之介は茶川に抱きしめられたのである。
茶川はヒロミと淳之介の3人で暮らしたいと思い、ヒロミにありったけのお金をはたいて買った指輪のケースを見せ、いつか指輪を買うということでヒロミに求婚するが、ヒロミはうれしく思ったが身内の借金のかたに飲み屋を畳んでそこをでなければならなくなったのである。
ある日茶川の所にお金持ちが淳之介の父親であると名乗ってやってきて、淳之介を引き取りたいと言ってきて茶川と淳之介二人は別れることになる。ヒロミにもさられ、淳之介にも去って行かれた茶川が必死に淳之介の後を追ったところ、結局淳之介も茶川のところに戻ってきたのである。
昭和30年代の集団就職、東京タワー、テレビ、市電など懐かしい場面が、映画の話としては陳腐にも関わらず、感動を与える傾向がある。
日本神話と精神医学78 神とゴッド
明治になって一神教のゴッドを基本的には多神教を表す神々の神と訳したのは基本的には混乱を生み出し、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教を誤解させてきた。絶対的なゴッドを信ずる人々はお互い絶対的なゴッドであり相容れる分けがないだろう。このように八百万の神々、中国道教の神・帝・君、インドヒンズー教の神々、ギリシャ神話の神々のような多神教の神々とは明らかに違う。
一方仏教は仏という絶対者の教えにも関わらず、多神教の影響をうけてか釈迦牟尼仏、阿弥陀仏、薬師仏、大日如来などたくさんの仏がおり、仏になる前の菩薩も数多くいる。仏教は一神教であると同時に多神教的であり仲介役になる可能性がある。
日本神話の第一神といえばアマテラスオオミカミであり、女性でもあるのは特徴といえるだろう。日本人の和や迎合主義はええ加減さを表すと同時に寛容さ・協調性を表しており、西洋の厳しさ、契約制・確かさとの違いを知っておく必要がある。
院内報79
日常心療内科・精神科臨床でよく使う説明15 調子の波
うつ状態の患者さんが回復してくるときには一本調子でよくなるとは限りません。調子のよいとき、悪いときを繰り返しながらよくなることも多いです。多くの患者さんは調子がよければ治ったかのように感じられかなり元気に暮らそうとします。そうして再び落ち込んでしまって参ってしまったり、がっかりしたりします。ここでまだ調子の波があるということはまだ調子が悪いあるいは充分安定しているとは言えないと言うことです。従って調子がよいからといって元気に調子よくすることが調子を悪くする可能性が高いです。従って調子がよくてもまだまだ充分回復していない、充分余裕や余力